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令和元年度 子神社例大祭 日ノ出町御輿渡御

投稿日:2019年8月25日 更新日:

今年も、子神社例大祭 日ノ出町御輿渡御に参加させていただきました。
当日は天気にも恵まれ、水辺荘メンバーで子神社のお神輿を担ぐことができました。

日ノ出町青年会町内会の皆さまには7年もの間、例大祭に参加させていただいている事に感謝感激です。
来年もお神輿を楽しめるよう日々の活動に努めたいと思います。


日ノ出サンデーズの黒猫ルックとうさぎのエリーとも一枚。


水辺荘の前も、お神輿が練り歩きました!

例大祭が行われる子神社(ねのじんじゃ)。
神奈川県神社庁のホームページにこんな記述があります。

「推古天皇の御宇創建と称す、承安年中より代々赤門東福寺これが別当たりしも、同寺は長禄元年今の地に移転、以前毎歳海賊の略奪を受けしと、天正3年の兵火に罹り、また文政8年火災を蒙りしをもって本社の古記旧伝共に烏有に帰しその詳細を知るに由なしと雖ども、里俗に里鎮守又は『人不入斗宮』と唱えたり。文禄3年の検地水帳所載の神楽畑四畝十六歩と共に松平越前守が陣営中に編入せられし際、本社の四隅に霊地保護の為、禁制札を掲ぐ。享保8年社地東西43間南北9間と御改めありて神事を此処に奉行せり」

文禄3年(1594年)のころにはこの周辺にあったようで、その後何度かの移転を経て現在の場所にあるとのことです。

また、子神社参道脇の公園には、戦争孤児院「ボーイズホーム」がありました。
写真でいうと、写真向かって鳥居の左側の場所です。

横浜都市発展記念館館報第28号に、この「ボーイズホーム」について詳しい記述があります。

『戦後の横浜には、数万人規模の占領軍が駐留しており、兵士が出す大量の残飯を目当てに、全国各地から多くの戦争孤児が集まり、横浜駅や桜木町駅前などで荒んだ路上生活を送ることを余儀なくされていた。このような状況を改善するために立ち上がった組織のひとつが日本厚生団である。(中略)この後、同盟では階級的に孤児達を保護する施設の建設が目指され、1946(昭和21)年12月に神奈川県の支援を受け、中区日ノ出町の子神社境内に厚生同胞寮を設立する。同寮では翌年4月から孤児の保護を開始したが、翌5月に米国の社会運動家、エドワード・ジョセフ・フラガナン神父が施設を訪問したことにより、神父が提唱していたボーイズタウンにちなみ施設名をボーイズホームと変更した。』

日ノ出町・黄金町エリアは、横浜大空襲でも大きな被害を受けた地域の一つ。
戦中・戦後の様々な過程を経て、現在の活動ができることのありがたさを、改めて感じた一日となりました。

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